≪代表のメッセージ≫
生活の為に仕事をする・・・87% これはある人材派遣会社が「何のために働くのか」について、自社の会員へアンケートを取った結果です。
実は私がこの仕事を選んだ理由も、同じでした。 まだ10代の頃、私は建設資材を運ぶトラックの運転手をしていました。
私の父は既にペンキ職人として独立。バブル期という事もあって収入もあったようでしたが、当時父に反発していた私は「間違っても職人にはなるまい」と心に決めていたのです。
そんな中、自身の不注意で免許停止となってしまいました。車が運転できなければ仕事ができず、自宅待機が続く日々。
それは同時に、免許があれば誰でもできる、つまり代わりは幾らでもいる仕事だという現実を突き付けられた瞬間でもありました。
仕事ができない状態が続き、生活が苦しくなっていく中、いつか現場で大工さんと話をした「手に職をつけると仕事に困らないよ」という立ち話がふと頭をよぎりました。
このままじゃいけない、手に職をつけてもっと稼ぎたいとの思いが募り、頭を下げて父の会社へ職人見習いとして飛び込んだのが、塗装の世界へ入ったきっかけでした。
最初の2年は見習工として、仕事を覚えるのに必死でした。 まだ若いとはいえ、炎天下の中、厚手の長袖長ズボンの作業着で重さ数十キログラムの材料を先輩職人の元へ運び続けるのは過酷を極めました。
また、足場の組み立てや養生作業など細かい作業が上手く行えず、能力の高い職人の仕事を横目で盗み見しながら、気付いたことをメモしながら休日に何度も練習しました。とにかく給料を上げたい一心で、必死に働きました。
そして、職人として5年が経ったとき、自分の可能性にチャレンジしたいと独立を決意。父親の下で働くことに抵抗があったのも後押しとなりました。
しかし、5年の経験を経たとは言え、まだ若造です。仕事を確保することの大変さ。 そして人に技術を教えることのむずかしさ。
自身の技術の向上や新工法の習得などやることは尽きず、深夜に帰宅しては朝方出かける日々を繰り返していました。
また大口のお客さんからの入金が滞り、資金繰りが急激に悪化。 かと言って仕入れ先の支払いを遅らせる訳にはいかず、納豆とお米だけで過したこともありました。
妻の実家からは「こんな男で大丈夫か」と不安な思いをさせてしまったこと、今では懐かしい思い出です。
そんな苦労もありながら、でも生きていくために必死に仕事を続けていた私に転機を与えてくれたお客様がいました。
お問い合わせをいただきご自宅へ訪問すると、「この家と同じ色で塗り替えしたいんです」と、ある雑誌を片手に熱く語るご婦人。 さっそく雑誌に記載された色見本を調べ、塗料を発注。
届いた塗料を実際に塗ってみると、写真と比べて少し派手な色になってしまいました。多少の色味が変わるのは、塗装現場ではよくあること。あまり深く考えず、そのまま塗り進めていました。
しかし、作業現場を視察に来たお客様、壁を見るなり開口一番、「これじゃ、全然違う・・・」そう言ってガックリと肩を落とす姿を見て、私の中の何かが吹っ切れました。
「何て軽率な行動をしてしまったんだろう。何とかお客様のご希望を叶えたい」そう思った私は、利益や手間のことなどすっかり忘れ、お客さま立会いの下、何度も何度も色を調整し塗り進めました。
しかし、全体に塗っていくと、またもや色が変化してしまいます。 そして、またやり直し。単純作業の繰り返しで、半ばやけくそになっていました。
そうこうして数日、ようやく満足いく色に仕上がった時、お客様が涙ぐみながら言われた言葉、「中村さんにお願いして、本当に良かった」
この一言で、私のこれまでの苦労は一瞬で吹き飛んだのでした。 (当社の特徴の一つ「色の調整」は、このお客様との出会いで誕生しました)
それ以来、「お客様に喜んで頂くことが私達の仕事」と決意を新たにし仕事に取り組むようになりました。
そして、高齢のため現場で働けなくなった父の会社を引き継いだ際、「お客様と業界に希望を与えたい」との想いで、社名をライズと改名しました。
これまで支えて頂いたお客様、取引先、そして社員達に対する感謝の気持ちを忘れず、さらに共存・共栄するために、当社は日々邁進していきます。 いつかあなたとご縁が持てる日が来ることを楽しみにしております。
有限会社ライズ塗装 取締役 中村洋信
企業情報 社名:有限会社ライズ塗装 所在地:千葉県若葉区中野町2247番地 連絡先:0120-147-216 創業年:49年
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